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かじりアト

ややオタク寄り。平凡アラサーOLの独り言

一人ひとりが自力で幸せを見つけられる世界「Philosophy of Dear World」ZAQ

テーマソングとはまた違うけれど、今年私が最も共感した歌がこちら。
ZAQの「Philosophy of Dear World」。
 
 
アニメ「純潔のマリア」の主題歌としてリリースされた楽曲。「純潔のマリア」は「もやしもん」でお馴染みの石川雅之さんによる作品で、これまた私がここ数年で最も共感した作品。そのアニメが始まるということでチェックしていたらこの曲が流れたのです。
マリアの姿をそのまま映し出したような歌詞と、力強い歌声、疾走感溢れる旋律に一気に魅力されたのでした。
 
 
「純潔のマリア」は中世・100年戦争が舞台。主人公の魔女マリアは戦いを止めたい一心で戦場に行っては両軍をたたきつぶしますが、そのために、地上への介入を許さない天の教会に目をつけられてしまいます。
 
ただひたすら純粋に人の世の戦争を止めようとすることは悪なのか?
人の世に願いを聞き届ける者がいてはいけないのか?
マリアが最後に辿り着いた答えは一体何なのか?
 
漫画は全3巻+αとなっていますが、途中からページをめくる手を止められませんでした。漫画で泣いたのも久しぶりかもしれません(ちなみに私はアニメよりも断然原作コミックス派)。
 
作中には心に残る台詞が多く登場するのですが、中でもこちらはとても印象的。
 
マリアに救いを求める矢文をすべて燃やしてしまった、天の教会の監視者に対して

何で手紙を燃やしたの?
助けを求める声を無視するだけじゃ、天の教会は飽き足らないの?
叶えてあげられたかもしれないのに!どうして見捨てたの!
(中略)
家族を守りたいと願う男達
子を守りたいと祈る女達
父母を信じ、疑う事など考えもせず、決して離れることないようその一念のみでしがみついていた子供達
その想い全て、何もかもなくなっちゃったじゃない! 

 

 

そもそも私が「純潔のマリア」にはまった大きな理由は、私自身がクリスチャンホームに生まれながらキリスト教を信じることができず、それを一部(恐れ多い話ですが)マリアの姿と重ねてしまっている面があるため。
 
例えば、神を信じれば救われ、死後天国へ召される、という根本の教えがあるけれど、
 
神は愛なのに、それ以外の人は何故救ってあげないの?
無償の愛がところどころで限定的なのは何故?
それって自分たちに都合の良い愛を定義しているだけではないの?
 
といった感じで、他にも様々な面において納得がいかないことが多いと思うのです。その納得がいかないものを、とりあえずその場しのぎで「信じてる」なんて言いたくはなくて、今でもパプテスマを頑なに拒否してしまう自分がいます。
たまに両親が悲しそうな顔をするけれど、どうしても納得がいかないし、嘘もつきたくないので仕方ない。
(もしかしたら私にあった教えの宗派もあるかもですが…)
 
 

そんな私が「Philosophy of Dear World」で最も好きなフレーズがこちら。

遥か彼方へ歌う 純粋さを悪と呼ぶのか
見たこともない 導きもない
神よ、神よと うるさいわ
その上で、このように締めくくります。
理が世を総べる世界で 私は愛に生きる
誰かが望む平和が 誰かの流す涙の裏にある
私は1つの笑顔を探す
あなたとここで生きていくと決めたから
 
綺麗事すぎるけれど、マリアの生き様=私の理想の在り方が描かれている。こうして振り返ってみてもやはり心に刺さる一曲、そして作品です。
 

今週のお題「私のテーマソング」

 

ZAQ Official site

 

純潔のマリア 1 (アフタヌーンKC)

純潔のマリア 1 (アフタヌーンKC)

 
純潔のマリア(2) (アフタヌーンKC)

純潔のマリア(2) (アフタヌーンKC)

 
純潔のマリア (3) (アフタヌーン)

純潔のマリア (3) (アフタヌーン)

 
純潔のマリア exhibition (アフタヌーンKC)

純潔のマリア exhibition (アフタヌーンKC)